この三連休はカミさんの実家がある愛知は知多半島へ帰省してました。
毎夜の暴飲暴食の連続で、こりゃーヤバイ!とばかりに、最終日はカロリー消費で知多イチを走ることに。
野間灯台
知多半島の西側、伊勢湾航路を見守る野間灯台。
大正10年に点灯されて以来、知多半島のシンボル的な存在です。 
岬ではないけれど、伊勢湾を往来する船舶の変進点に近いためにこの場所に設けられたそうだ。
冬の太平洋側は北寄りの乾いた風が吹き、この乾いた風は各地でその土地にちなんだ呼び名で呼ばれていますよね。ここ尾張地方では、風上に位置している伊吹山や鈴鹿山地にちなんで「伊吹おろし」とか「鈴鹿おろし」と呼ばれています。
この北西からの風がなんとも悩ましい強風で、知多イチを走るとなると、復路の北上時に真っ向から風と闘わなければいけないのです・・・ルート
鈴鹿山地や伊吹山地から吹き下ろした風が伊勢湾に吹き出ると、障害物が何もない海上では否応なく風速を増します。 このため平均風速が8m程度、強い時には風速12m以上くらいになります。
瞬間的には台風に近いような風が吹いていることも。こうして風が強まった所に知多半島があるわけです。
半島の幅は8km程度で風を弱める高い山もありません。知多半島は伊勢湾と三河湾の間に浮かんだ「島」ようなものであり、強い風は知多半島を吹き抜けていくのです。
なんとまぁー、冬のライドに不向きなエリアなんでしょうかねー (苦笑)
今日は反時計回りで、西岸では追い風で快適、東岸ではド強風峠越えです!(>Д<;)
道中では、以下のような観光スポットを巡ってみましたー!

土管坂
まずは、「美しい日本の歴史的風土準100選」の常滑の「やきもの散歩道」へ。
土管坂は、やきもの散歩道を代表する風景の一つですね。
明治期の土管と昭和初期の焼酎瓶が左右の壁面をびっしり覆い、坂道には「ケサワ」という土管の焼成時に使用した捨て輪の廃材を敷き詰め、滑らず歩きやすいように工夫されています。

師崎
知多半島の最南端にある羽豆岬から見る篠島や日間賀島、その向こう側は渥美半島などが見渡せます。

朝市
新しい観光スポットとして定着しつつある「師崎漁港朝市」で新鮮な海産物を買いましょうかね。
水揚げされたばかりの魚介が運ばれては、午前中に売り切れてしまう人気ぶり。
焼きたての干物の試食ができるののも楽しさの一つですね。
お土産で大アサリや真タコの干物、ひとくちイワシの干物を買って、サコッシュはパンパン!www

半田駅
ド強風と真っ向勝負をして、ヘロヘロで辿り着いた半田の街並みをポタポタと・・・
JR半田駅の跨線橋は、明治43年に設置された現役では全国で最も古い跨線橋なのです。 
橋の支柱には「明四十三鐡道新橋」と鋳込まれていたり、
跨線橋の右側にはレンガ造りのランプ小屋も保存されています。

半田運河
半田では、早くから開けた海運により知多半島の産物である酒や酢、木綿などが江戸、大阪などに運ばれていました。 その醸造業に代表される黒板囲いの蔵が半田運河沿いに立ち並んでいます。
運河周辺は江戸時代から造られている酢の香りが漂い、環境省の「かおり風景100選」に選ばれました。
運河をとり囲むようにミツカン酢のトレードマークが描かれた黒壁の蔵が立ち並ぶ姿は、半田のランドーマーク的存在ですね。

黒塀
半田の豪商の一つであった小栗家が営んでいた株式会社 萬三 (万三) 商店は、肥料、醸造業、米穀、綿糸などを、かつては手広く営んでいたそうです。
黒い塀はコールタールを塗ってあり、潮風で建物が傷むのを防いでるのです。

レンガ倉庫
最後に寄ったのは、半田赤レンガ建物。明治31年に「カブトビール」の醸造工場として建設されました。
その後、100年以上も経った今日まで様々な形で赤レンガ建物は生き続けてきました。

いゃー、冬の知多半島はとにかく風が強い!
ペースも距離も大した事ないのにヘロヘロになりましたー
この風が緩まると、冬が終わり春の気配が感じられるはず。。。。 
でも、まだまだ知多半島の寒い冬は続きそうです。